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2016年03月03日ブログ
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オトメン、男の娘、乙女男子・・・今ドキ男子の“女子化”が進む昨今、「ひな祭りの解放」は新しい市場機会を創造するか?

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今日3月3日は「ひな祭り」ですね。

 

一般社団法人「日本人形協会」が発表している数字では、ひな人形の総売上額は約434億円、贈答ケースなどの関連商品を加えた市場総額は約514億円(いずれも2014年度)だそうです。これはシガレットライターの市場規模(約515億円)とほぼ同じ、スポーツ振興くじtotoの市場規模(約554億円)よりちょっと少なくて、打ち上げ花火の市場(約500億円)よりもちょっと大きいくらいです。まぁ、どうでもいいといえばどうでもいい比較ですが。

 

ところで、ひな祭りのルーツって何なんでしょうね? 日本の伝統的風習のほとんどが中国からの伝来をルーツとしていることから、ひょっとすると「ひな祭り」もそうではないかと思って、調べてみました。

結論から言うと、このひな祭りの由来は今も日本の地方に残っている「流し雛」が原型であり、はやりそのルーツは中国にあるそうです。
かつて中国の漢の時代には旧暦の3月最初の巳の日に水辺で身を清める「上巳節」という節供行事があった。この頃の風習が、紙で作った人形を体に触れてけがれや災いを人形に移し川に流すもので、これがいわゆる「流し雛」の原型といわれています。それが魏の時代には3月3日に固定するようになり、晋代には杯を流水に浮かべて詩歌をよみあう遊びの曲水の宴が行われるようになったそうです。

日本には、平安時代に古代中国の上巳節の風習である「紙で作った人形を川に流す」スタイルが伝わり、この風習と、当時宮中で流行していた人形遊びの「ひいな遊び」とが結びついて、やがて江戸時代には川に流さずに飾るスタイルに変化し、最終的に現代に至る「ひな祭り」のかたちが出来上がっていったといわれています。

興味深いのは、ルーツである中国側では、現代ではすでに「上巳節」自体はほとんど残っていないことです。

 

「上巳節」はその後別の風習やお墓参りなどの古い習慣と次第に融合して、やがて唐代には「清明節」という風習に落ち着きました。水辺で身を清める習慣も次第に簡素化され、やがて川辺や郊外で飲食する宴、遊びへと変化していったそうです。但し現代では水辺に集う習慣は残っておらず、「清明節」は親族一同でご先祖様のお墓参りに行く日となっており、いわゆる日本で言うところの「お盆」のようなものになっています(かわりに中国では日本でいう夏のお盆にお墓参りには行くという習慣はありません)。ちなみに、以前はこの「清明節」が旧暦の3月3日となっていたのですが、近年になって清明節の祭日を統一するために新暦の4月5日というふうに定められたそうです。
このように現代中国ではすでに「上巳節」の風習はほぼ廃れてしまったのですが、一部の南方の少数民族の間では、いまでも残されているところがあるそうです。
ところで現代の日本のひな祭りは「女の子の節句」ということになっていますが、もともとは男女の健やかな成長を願う行事だったようで、女子の祭りとなったのは日本に伝わってから、しかも江戸中期頃になってからのことだそうです。このあたりの理由については(想像ですが)、江戸時代になって戦乱の世が終わって男子の価値が低くなって、代わりにどんどん女子が偉そうになったからではないかと思っていますが、どうでしょうか?まぁ、男なんていつの時代も寂しいもので、カマキリの雄だって雌に食べられちゃいますからね(笑)。

 

でも、ひな祭りの原点からいえば男子だって祝ってもなんら遜色はないのです。いや、もし男女平等を掲げる共産主義国・中国でも日本と同じようなかたちで「ひな祭り」という習慣が残っていたら、男女の祭りとして残っていたかもしませんね。

考えてみたら日本のひな人形も、ちゃんと最上段に男雛と女雛が仲むつまじく座っているではありませんか。いかがでしょうか?オトメン、男の娘、乙女男子など「男子の女子化」現象が進んでいる昨今、「ひな祭りの解放」を唱える革新的な男子はいないものでしょうか?

 

だって、そうしたらひな祭りの市場は単純計算して今の2倍になるんですよ(笑)

 

 

宮内 尚弥投稿者 

宮内ナオヤです。プランニングとクリエイティブディレクションを担当。得意はコンセプトメイキングと、愛と情熱にあふれたプレゼンテーション。標準語、関西弁、中国語を操るトリリンガル。好きなコト&モノ:スキー、登山、カメラ、自転車、温泉巡り、鉄道、キーボード演奏、ファンクミュージック、スイーツ、白米。

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